倉鉢徹のページ: コメを選んだ日本の歴史
 

2007年06月26日

コメを選んだ日本の歴史

「コメを選んだ日本の歴史」は、あとがきで師とでも仰ぐべき人の著作の当初構想したタイトル「コメに選ばれた日本人」の強い影響下にある。

内容は、東アジアは米食圏ではあるが、日本がこと更に特殊な米文化の国だということ。

何のことかといえば「肉食」忌避。中国や東南アジアのモンスーン地域ならば農村に豚式トイレがあり、食肉用家畜が当然。有名な「人、豚、鶏」のインフルエンザウィルスの人感染へのトライアングル構造の元になる農村風景が当たり前のことであった。しかし、日本にはそのような人畜一体型農村風景は定着しなかった。

「考古学に見る日本人」にも書かれているが「弥生集落が飼っていたのは猪か豚か?」と議論され、「どうやら豚らしい」と結論つけている。因みに誰の本に書かれていたか記憶が曖昧だが、江戸時代あたりに日本の農村は農耕用家畜も放棄し人力で鋤などの農器具を曳くコスト削減に到達したとも。つまり、日の出から日没まで牛馬のごとく農耕に働く暮らしを選択し、牛馬のエサを用意する手間を削った、という。
だが、「大江戸開府四百年事情」は農村は生産余力があり、年貢の元になる検地の改定が停滞した分、生産の向上によって年貢負担は年々軽くなっていったと解説。

明治維新以降日本の人口は増加。暮らしの向上は米需要の拡大をもたらし、次第に需要に供給が追いつかなくなって投機目的による大正のコメ騒動が発生。米騒動がトラウマとなり、為政者達は朝鮮に留まらず、欧米後追いの植民地獲得と同時に食糧確保のための生産地を得るべく満洲への侵出圧力となり満洲でも米作が推進された。これが安い米を日本本土へ輸入する結果をもたらし、却って国内米相場が低迷。

この米相場の低迷は「続・東北」(中公新書)で書かれている(怨念に満ちたというべきか?)中央から忘れらると焦り、貧しさにあえぐ東北につながっているんだろう。

そして、太平洋戦争に負けて破綻するまでの日本について、「富国強兵」といいつつ、人口ばかりがふえて食糧自給を期待できない「貧国強兵」状況に陥ったとはSF作家林譲治のWebページ日記だったろうか?


「続・東北」河西英通、中公新書

「コメを選んだ日本の歴史」原田信男、文春新書
コメを選んだ日本の歴史 (文春新書)
文藝春秋
2006-05

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posted by kurapat at 14:50| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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